短いやり取りだった。それでも灰原にしては少し話し過ぎたのか、彼は喉に渇きを覚えた。
本来、灰原は人と話すことが苦手だ。口下手というよりも、人と言葉を交わすことに慣れていない。今回は話し相手が心の友、はるのっちだったからこそ、ここまで語れたと言っていい。
ベッドスペースを除くと実質四畳半となる、マンションの一室が彼の住処だ。一人でも窮屈に感じる部屋である。そこに二人もいる。当然、その二人の体温だけでも、室内の温度は上がりに上がる。加えてこの夏の暑さだ。灰原にとってはダブルパンチどころではない。不慣れな会話による照れ臭さも相俟ってトリプルパンチだった。
灰原はキッチンへと向かった。そこでグラスに水を注ぐや、その場ですべて飲み干した。
パイン材でできた作業机の上には、先ほどの「図書館危機」が放り出されている。机の傍らに立つはるのっちはリズムを刻むように、か細い人差し指でその表紙を叩きながら言った。
「でもさぁ『図書館危機』ってさ、全体的にはあんまりいらなくない? あってもなくても、別にいいようなエピソードばっかりだったような気がする」
水で濡れた口元を拭いつつ戻って来た灰原が、それに答える。
「あとがきにも書かれていたけど、そこは出版社側との諸事情があったみたいだね。いわゆる大人の事情ってやつで、『図書館革命』までのつなぎとして書かれたものらしい」
「へぇ。大人の事情ねぇ」
そう言って指の動きを止めた。
「どうせお金の絡むような話なんだろうね」
顔も向けずに灰原は、
「そこはまぁ置いておいて、次の『図書館革命』がまたいいんだ」
と言いつつ、リモコンを手に取ってエアコンのスイッチをオンにした。
図書館革命 図書館戦争シリーズ (4) (角川文庫)
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まだ冷やされていない、生ぬるい風が送風口から流れてくる。その風を眺めるようにして、はるのっちは口を開いた。
「そう言えば一話完結か、続いても前後編程度だったのが、『図書館革命』だと一冊まるまる全部で一つの話って感じで、なんかちょっと壮大よね」
灰原が机に戻ってきたので、はるのっちは人口の密集を避けるため、脚付きマットレスのベッドの上へと移動した。灰原は作業机の色味に合わせた、ブナ材の椅子によっこらせと腰掛けた。そして煙草に火を点け、面倒臭そうな素振りで語り始めた。
「まぁ壮大だな。作戦行動中に手はつなぐ、指は絡める、社会人としては本来、あるまじきラブラブ姿だ。そんな不謹慎極まることが許されるんだから、ある意味壮大なファンタジーだな。それでいて付き合っていないとか、俺は思わずインド人の男友達同士か、とか突っ込みたかったけどな」
「え、何それ? インド人ってBL多いの?」
「いや、そうじゃない。あいつらは男同士でも仲が良ければ、街中でも手をつないで歩くんだ。だからと言って、ゲイとかホモってわけじゃない」
「へぇ、そうなんだ」
今度は失敗しない。灰原のその思惑は、外角低めに逸れていった。
確かに灰原は、自分が実はラブコメ要素も結構好きなんだと、内心認めるに至った。とはいえ今はまだ他者に対しては、ラブコメ要素などというものに関心のある素振りを見せたくなかったのだ。
まさか物語中のラブラブ場面を持ち出して、女子のように素直に「きゃあー、あそこよかったよねー!」なんて、はしゃげるわけがない。
古き良き日本男児としての誇りだとか尊厳だとか、そんなよくわからないものを大事にしたかったのだ。いずれ公になるとしても、灰原士紋は硬派な男であると、今は見せかけておきたかったのだ。それがカッコいい男だと灰原は思っているのだ。
しかしその狙いは、はるのっちには届かなかった。むしろインド人とかBLとかの方へ、関心を向かわせてしまった。
「物語としては壮大というよりも、今すでに身近にまで迫って来ている問題のような気もするがな」
もうラブコメ絡みの話そのものを口にしない。灰原は、そう気持ちを切り替えることにした。
「原電テロ未遂事件をきっかけに、『治安維持』と『言論の自由』を天秤に掛けて、やはりテロは怖いから『言論の自由』の方を制限する。それもやむを得ないと諦める世論。そういった筋書きは、現実においても充分ありうる話だろ」
「いやぁ、でも日本って基本的にテロとか少ないしねぇ。そこまで現実的かって言われると、そうでもない気がするかなぁ」
「じゃあ、『治安維持』を『児童の権利を擁護するため』と置き換えて、『言論の自由』を『表現の自由』に置き換えてみたら、どうだろう。今は辛うじて創作物は、児童ポルノ禁止法の規制対象にはなっていない。でも児童絡みの事件が起きた時、たとえば犯罪者がアニメや漫画が好きだったという理由で、創作物も性犯罪を助長する原因になるとか言われて、規制の天秤に掛けられる可能性は充分ある」
「ああ。そういうことかぁ」
「BLだってもしかすると、やはり教育上好ましくないとか言われて、規制対象になる可能性もある」
「うう。何でもかんでも規制されそうだよね……私、図書隊に入るよ。そして本を守るために、頑張って戦うことにするよ」
「いや、『図書館の自由に関する宣言』は実際にあるけど、図書隊はフィクションだから」(続く)
読書期間:始)2015.4.22 ~ 終)4.24
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