量子論の成立についての物語というべきでしょうか。先日読んだ「量子革命」と内容的には大きく異なりません。ただ決定的な違いとしては、本書の著者はアインシュタインを頭の固い、時代遅れの耄碌爺さんのように見ている節がある、という点でしょうか。
「量子革命-アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突」マンジット・クマール 青木 薫 訳 (新潮社)
マンジット・クマール「量子革命-アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突」アインシュタインの偉大さが揺らぐことは、少なくとも私の中ではありません。如何にボーアがコペンハーゲン解釈を世に広めようと、如何にハイゼンベルクの不確定性原理が間違いのないものだとしても、やはり私はアインシュタインを……
そもそもこの著者の考え方は、一貫していません。第十六章の「シュレーディンガーの猫」について、著者が自身の考えを述べる部分があります。ここに引用します。
原子内での電子ジャンプと放射性原子核の崩壊の二つは、量子力学の不確定性に支配された明確な過程であり、観測者が目を向けているかいないかに関わりなく進行するのである
量子論の勝利を謳いあげつつ、アインシュタインの敗北をあげつらう姿は、自身をも同じくあげつらうことになるのですから滑稽です。
それにしても量子論は謎だらけですね。確率を表しているのか、波としての性質すなわち波動を表しているのか。そうかと思えば粒子としての性質をもって観測もされる。加えて、その数の示す意味がわからなくとも、その理論を利用・応用することで現代科学技術を築き上げてきたわけですから、まったく不思議としか言いようがない気分になります。
読書期間:始)2015.2.26 ~ 終)3.13
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