誰でも書名と冒頭の一文程度は知っている著作だと思います。ですが全文を読んだという人は、どの程度いるでしょうかね。
明治と平成の今、その両者を、この著作を通して比較してみると、いろいろと興味深い事柄が浮かび上がってきます。
この著作からは、とにかく何でもかんでも欧米万歳、といった近代文明至上主義とでも呼べば良いような考え方が提示されます。ただしこれは当時それまで根強く支配していた、儒教や仏教的な考え方を覆すための詭弁だと考える方が妥当です。このことは第十五編「東西の人民、風俗を別にし」から始まる内容を読むと明確です。
とはいえ、自国に適した文化や文明を確立する前段階で、個人の自由平等の思想、独立自尊の精神を根付かせる必要があると考えて、とにかくそれまでの日本的なものを、全て打ち壊そうとしていたのではないでしょうか。
学問のすゝめ (講談社学術文庫)
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この著作が書かれた明治と平成の今、日本人はどう変わったのでしょうか。封建的な体制はなくなり、欧米から取り入れられるものは何でも取り入れてきました。そして近代文明至上主義的な観点まで取り込んでしまいました。
「天は人の上に人を作らず」という根本思想を忘れ、近代文明至上主義的な観点から見て、自国より劣っているように見える文化や文明を持つ国と国民を卑下するような人間が、多く闊歩する国になってしまいました。
顕著な歴史的事実を挙げれば、日韓併合という名の植民地政策が分かりやすいかと思います。そして今現在も、近代文明の届かない地を未開の地、そこに住む人を未開人というような見方をしています。なぜその国の文化や文明を、それで良しと認めようとしないのでしょう。
明治の福沢諭吉ですか、あなた方は。否、福沢諭吉は「東西の人民、風俗を別にし」から始まる内容で、欧米の近代文明を疑うことを説いているのですから、まだ先見の明があったと考えるべきでしょう。後に訪れる段階を見越した内容だと思います。
むしろ今の日本人は、儒教や仏教的なもの全てを下等なもの・間違ったものとして、そこから必死に脱却しようとしている段階のようです。もうね、そんな段階はいい加減卒業しましょうよ。
この著作を読むことで、今の日本人が明治から全然成長できていないことを、私は思い知らされることになりました。
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