主に明治から昭和の初期まで活動していた物理学者であり、随筆家でもある寺田寅彦氏の随筆集です。
先日読んだ外山滋比古氏の「日本語の論理」の中で、純粋思考や思考実験の面白さを教えてくれるものとして、寺田寅彦氏の随筆集が取り上げられていたので、試しに読んでみました。
「日本語の論理」外山滋比古 (中公文庫)
外山滋比古「日本語の論理」日本語についての学術的エッセイと呼ぶのが妥当でしょうか。少なくとも論文とは趣が異なると思います。著名な「思考の整理学」を著した方の文章なので、とても読みやすい内容です。それでいて、とても的を射た内容でもあります。日本語は論理的な文章を作るのには向いていないのか?
「科学者と芸術家」で述べられている両者の共通点の話、すなわち表現手段が異なるだけで共に同じものを取り扱っているという指摘に共感しました。個人的には、この内容は科学と芸術だけでなく、科学と宗教の関係にも当て嵌められる気がしたこと、またそこからさらに飛躍して、矛盾する故事や諺の類いも実は相反するものでなく、大きな一つの真理を断片的に切り取って言い表しただけ、という考えも浮かんできました。
「丸善と三越」に登場する婦人の利己的な行為と、ある者・団体が社会の組織制度に関するある理想に心酔して、それがために奪い殺し傷つけることは共通な点が見られるという指摘には、戦争やその背景にある思想に対する氏の批判を感じました。
寺田寅彦随筆集 (第1巻) (岩波文庫)
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「案内者」での案内する者と案内される者が気をつけなければ行けない点、特に案内される者が注意しなければならない点についての指摘は、外山滋比古氏の言う「グライダー」を連想させます。
「断水の日」は、まさに現在の日本のある状況を予見したような内容です。『水道にせよ木煉瓦にせよ、つまりはそういう構造物の科学的研究が』から『その責任の半分は無検定のものに信頼する世間にもないとは言われないような気がする』までの内容は、例えば現在の原子力発電が抱える問題の原因と帰結を指摘するもののように思えてなりません。
最後に「ねずみと猫」で描かれる猫の仕種が、とても写実的でそれ故にとても可愛らしく感じたこと、にやりと笑ってしまったことも付け加えておきます。
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