「豆腐小僧双六道中ふりだし」京極夏彦 (角川文庫)

2013-11-16

京極夏彦

t f B! P L


あらすじ
江戸郊外のとあるあばら屋に絵草子妖怪、豆腐小僧がおりました。
いつからそこにいたのかはとんとわからないのですけれども、手にお盆を持って、お盆の上には紅葉豆腐を載せて、ただ立っております。

この豆腐を落としてしまえば、自分は豆腐小僧ではなくなるのだろうか。
ただの小僧になるのだろうか。それとも豆腐諸共消えてしまうのか。
そんなことを考えております。

誰もいない廃屋で永遠にこのまま立っておるだけというのも恐ろしい。
そんな不安から廃屋から出てみましたものの、どこへ行くと云う当てもありません。

そんな成り行き任せの妖怪小僧が、自分が何者なのかを知ることになる道中記です。


 これはいいですね。大変面白かったです。妖怪に対しての京極氏の見解がわかりやすく述べられている点もいいですね。落語家のような地の文の語りがまた新鮮です。

 素ッ惚けたキャラの豆腐小僧が、最後に見得を切るようなシーンはバカなんだけどカッコいいと、つい思ってしまいました。

 妖怪や悪魔の類はよく悪者として描かれるんですが、悪いことを妖怪や悪魔のせいにすることで人は心の均衡を保っている部分はあると思うんですね。

 妖怪や悪魔の存在を全否定すれば、悪いことや不運は全て自分のせい、あるいはどうにもならない運命だと思うよりはないわけで、その方が精神衛生上はよくない気がしますよね。

 科学は確かにそれまで説明の付かなかったことを解明して、無用の不安を取り除いてくれたかもしれませんが、基本的に人間はどこまで行っても何かに不安を抱いたり怯えたりするもののようです。

 科学で説明できたからと言って、不安がなくなるわけではなく、逆に科学でも説明の付かないことに不安を抱いたりすることもあれば、科学で説明できるからこそ余計に恐ろしいこともあるわけですよね。

 例えば昔なら何かに憑依された人が誰かを傷つけたり、口汚い言葉を発したりしても、それは全て妖怪や悪魔の仕業ということで救われていた部分があったのが、そんなものはいないとなれば、ではなぜそんな言動をしたのかと突き詰めていくと、心の病気であったり、周囲の環境のせいであったり、本人なのか他人のせいなのかはともかく、誰も救われないという結論が出てくるだけではないでしょうか。

 人の心を救う仕組み、不安に形を与えて取り除けるようにしたものが妖怪、と考えれば、それを馬鹿みたいに受け入れておく方が人は幸せでいられたのかもしれません。

このブログで探す

最新の記事

プライバシーポリシー

当サイトでは、Googleアドセンスなど第三者配信の広告サービスを利用しています。このような広告配信事業者は、ユーザーの興味に応じた商品やサービスの広告を表示するため、当サイトや他サイトへのアクセスに関する情報 『Cookie』(氏名、住所、メール アドレス、電話番号は含まれません) を使用することがあります。 またGoogleアドセンスに関しては、このプロセスの詳細およびこのような情報が広告配信事業者に使用されないようにする方法について、こちらで詳細がご確認いただけます。

アクセス解析ツールについて

当サイトでは、Googleによるアクセス解析ツール“Googleアナリティクス”を利用しています。 このGoogleアナリティクスはトラフィックデータの収集のためにCookieを使用しています。 このトラフィックデータは匿名で収集されており、個人を特定するものではありません。 この機能はCookieを無効にすることで収集を拒否することが出来ますので、お使いのブラウザの設定をご確認ください。 この規約に関しての詳細はこちらをご確認ください。

連絡フォーム

名前

メール *

メッセージ *

QooQ