「重力ピエロ」伊坂幸太郎 (新潮文庫)

2013-02-25

伊坂幸太郎

t f B! P L


連続放火事件とグラフィティアートの謎を追う兄と弟。
二人は事件に、ある規則性があることに気付く。
放火魔の目的は何なのか? 放火魔は誰なのか? と云う推理小説的な筋立てに期待して本作を読むと、手痛いしっぺ返しを喰らいます。

確かに推理小説染みた側面はあります。
ですが、そこに意識を置いて読み進めると、かなり詰まらない読後感に襲われるかと思います。

本作のテーマは、家族の絆なのです。
このようなテーマを掲げる多くの物語は、主人公とその家族という多対一と云う形で描かれます。
ですが、本作の場合は異なります。
まず兄と弟との個と個の絆が描かれます。
次に二人は「兄弟」あるいは「子」と云う不可分な要素となり、子と父との絆、子と母との絆が語られます。

幼い兄弟が母親に連れられて競馬場に行った時の話なんて、ご都合主義の極致と言えます。
ですが、これがいいのです。
敢えて言い換えて、劇的展開と呼びたい程です。
また物語のラスト近くでの、父とのやり取りも秀逸です。
「お前は俺に似て、嘘が下手だ」
この物語におけるこの台詞は、これ以上ない親子の証明です。

このように心温まる家族の絆を描く一方、この物語は「親殺しの桃太郎」の話でもあります。
桃太郎の話に登場する鬼は、実は暗喩だとする説です。

その男は酒癖も女癖も悪く、親の財産を奪っては好き勝手をする。
また家族にも容赦なく暴力を振るう。そんな男が桃太郎の父親であった。
桃太郎は葛藤の末に、その父親を自ら殺した。
後に、苦悩を抱えて苦しむ桃太郎を見兼ね、そして庇うために脚色が入り、今の昔話の形で伝わった、とする説です。


人には良い面もあれば、悪い面もある。
または、根っからの悪人はいない。
そういう考え方と云うのは非常に良識的なものだと思います。
ですが、そういう考え方をどこかでばっさり切り捨ててしまわなければ、春も桃太郎もどうにも立ち行かなかったのです。
喩えるなら、梅毒とマラリヤなら、梅毒の方が遥かに害毒であり、大きな毒を殺すために別の毒を加えるようなものです。

それにしても今回も多くの名言が見られました。
「テレビは脳味噌を腐らせてしまう」
映像技術の進歩により、視聴覚以外の感覚イメージを喚起する力は、著しく低下してきていると思います。

「死が敗北だと誰が決めた?」
その後、伊坂氏が書く「死神の精度」のモチーフになったのでは? と思わせる台詞です。
思うに、「死神の精度」の一編に春らしき青年が登場しているのは、単に作者のサービス精神から出た登場、という訳でもないのでしょう。

このブログで探す

最新の記事

プライバシーポリシー

当サイトでは、Googleアドセンスなど第三者配信の広告サービスを利用しています。このような広告配信事業者は、ユーザーの興味に応じた商品やサービスの広告を表示するため、当サイトや他サイトへのアクセスに関する情報 『Cookie』(氏名、住所、メール アドレス、電話番号は含まれません) を使用することがあります。 またGoogleアドセンスに関しては、このプロセスの詳細およびこのような情報が広告配信事業者に使用されないようにする方法について、こちらで詳細がご確認いただけます。

アクセス解析ツールについて

当サイトでは、Googleによるアクセス解析ツール“Googleアナリティクス”を利用しています。 このGoogleアナリティクスはトラフィックデータの収集のためにCookieを使用しています。 このトラフィックデータは匿名で収集されており、個人を特定するものではありません。 この機能はCookieを無効にすることで収集を拒否することが出来ますので、お使いのブラウザの設定をご確認ください。 この規約に関しての詳細はこちらをご確認ください。

連絡フォーム

名前

メール *

メッセージ *

QooQ