古今東西、日本だけに限らず、世界各地に様々な物語があります。このことから大袈裟かもしれませんが、物語というものは、時代と場所を問わず、全ての人々に求められてきたものなのかもしません。現代では文字だけに留まらず、漫画や映像などでも物語が作られ、多くの人に楽しまれています。みんな、つくづく物語が好きなんですよね。
日本では最古といわれる物語集「日本霊異記」から始まり、その後「古事記」「今昔物語集」「宇治拾遺物語集」と多くの説話集が編まれました。それは多くの場合、昔々のお話として語られます。これもよくよく考えると面白いですね。それらの物語集が編まれた時代そのものが、すでに現在の私達には昔々のことであるのに、それよりもさらに昔のお話だというのですから、私達の想像が及ばないほどの昔ということになります。
柳田国男氏の「日本の昔話」は、日本各地に伝わる伝承や伝説、あるいは民間説話を集め、編まれた物として知られています。すなわち柳田国男氏は作者ではなく、飽くまで編者ということになります。そう考えると、この「日本の昔話」は連綿と受け継がれてきた物語集の編纂事業の一端だと言えます。もちろん国を挙げての事業だった訳ではありませんから、その点では、過去の物語集とは規模が全く異なります。それでも昭和に成された、比較的新しい物語集だという位置付けで捉えると、これはこれである価値が出そうな書籍ではないかと思えます。
日本の昔話 (新潮文庫)
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さて、日本各地に散らばる説話や物語、そしてそれらを集めた物語集、どちらが卵でどちらが親鶏なのでしょう。物語集という名前なのだから、民間説話や伝承・伝説の類いが先だ、と考えるのが自然な気もします。ですが、中には物語集が先にあって、それが日本各地に散らばり、新たな物語が派生したケースも考えられます。
たとえば、ある既存の物語を聞いた者が、それに触発されて、自ら物語を創作することは十分に考えられます。それが広まり、新たな民間説話としてその土地の者に定着すれば、それは物語集の方が先だ、という考え方も可能ではないでしょうか。
もちろん物語の由来や成立を解明したところで、意味はないような気がします。ただふと思い付いたので書き留めてみただけです。
個人的には「二反の白」は、綺麗なオチのある話なので、落語のネタにでもできそうな出来栄えだと感心しました。
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