物語の冒頭で、犯人が女性であるらしいことが判明します。ではその女性とは一体誰なのか? と云う本格推理小説のような筋かと言うと、そうではありません。
読後感としては、もう一つすっきりしない後味が残ります。糾弾すべき人間を、糾弾せずに終わるラストが待っています。但し、糾弾したとしても、何の罪にも問うことができません。どうしようもない、何も解決しない物語です。ですから、この結末でいいのかもしれません。
今回扱われるテーマのようなものは、所謂ジェンダーと言われるものについてです。女性らしさや男らしさ、男はこうあるべき、女はこうあるべき、と云った「らしさ」について語られます。
いわゆる「男らしさ」「女らしさ」という問題は、生物学的な差異のみで論じられるべきものではありません。現代においても、未だに男女の「らしさ」というものは、男性原理に基づいた視点で語られることが多いと思われます。そしてその視点は男性だけでなく、女性側にしても本人すら気付かない内に根付いてしまっている観があります。
極端な例を挙げると、好きと云う訳ではないけども、好みの外見なのでセックスしてみたい、と云った情欲を男性が口にする分には、世間は比較的寛容な態度であるのに、女性が口にすることは許されず、憚られるような空気があります。何故男ならよくて、女は駄目なのか。そう云った問題を「絡新婦の理」では、歴史的・民俗学的視点を絡めて解き明かしていこうという試みがされます。但し、デリケートな問題で、まだ研究の余地を残す問題でもあるので、紋切り型に全てを断定するような結論には至っていません。
文庫版 絡新婦の理 (講談社文庫)
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物語の二つの謎について、私は今でもよくわかっていません。一つは茜の父親が誰なのか、という点です。京極堂もわからなかったと言っていましたが、もしかすると作中のどこかで示唆されていたのかもしれません。もう一つは、黒幕の計画が最終的に何を一番の目的として企てられたものなのか、という点です。物語を味わう上で最も重要な点が分からないのです。もしかすると過去の隠蔽が狙いだったのかとも思いますが、それでは計画の規模が大き過ぎます。己の存在価値とは、そうまでして守るべきものなのか? という疑惑に囚われてしまいます。
彼女の狙いは作品のテーマ同様、デリケートで議論の余地をまだ多く残し、仮に何らかの結論を出せたとしても、現実問題としてはどうすることもできない、解決できないものだったのかもしれません。
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