小股潜りの又市が、御行姿をするようになった経緯が描かれる一冊です。
若き日の又市は大坂で失敗し、江戸へと移ってきました。血気も盛んで威勢もよく、口を開けば矢鱈と悪態を吐く始末です。口八丁手八丁、舌先三寸二枚舌、というところは後の又市と変わりありません。ただ仕事に関しては、矢張り経験不足からの不手際や仕掛けの不細工さが目立ちます。
話を重ねるにつれ、後に一味となる山猫廻しのおぎんや御燈の小右衛門が登場し、「続巷説」まで決着を持ち越すことになる凶敵、稲荷坂の祇右衛門との最初の対決を迎えます。
以前「巷説百物語」「続巷説百物語」「後巷説百物語」で三部作を構成していると指摘しました。今もそう思っています。ですから、この「前巷説」は飽くまで三部作、特に「続巷説」に厚みを持たせるための位置付けと感じています。
前巷説百物語 (角川文庫)
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「前巷説」の特徴は、地の文が又市視点、あるいは又市の独白形式で語られる部分が多いことだと思います。三部作における又市は、具体的な考えや思っていることが傍目には分からないという人柄でした。しかし本作では、一人の人間としての又市が浮かび上がってきます。
義理人情に篤く、弱き者を慈しむ心を持ち、人に害を為す悪党を憎みもする、所謂義賊的な正体に触れることができます。如何に非力で弱くても、相手によっては退いてはいけない、戦わなければいけない時がある。戦うからには勝たなければいけない。勝たなければ意味がない。生きて、勝つこと。自分のためばかりでなく、弱き者、虐げられる者のために。何故なら自身もその弱い、虐げられる立場の人間なのだから。私の目には、そう思って生きている人間として映りました。そして彼の御行姿は、己の力不足で亡くなった者達に詫びる気持ちの表れだったのかと、今更ながら気付きました。
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