
神を信じ得ぬ牧師、白丘のもとにやって来た女、宇田川明美。
彼女は、殺しても殺しても生き返り自分を訪ねてくる夫を四度殺したと告解する。
教会に居候をする元精神科医、降旗は白丘と共に彼女の話を聞き、その話を夢か、彼女の精神が疲れているものかと考えるのだが。
夢と現実の狭間に揺れ悩む三人の前に、海に漂う金色の髑髏事件、逗子湾生首事件と怪事件が続発する。
釣堀店主・伊佐間、小説家・関口、刑事・木場らも見守るなか、京極堂は憑物を落とせるのか?
髑髏すなわち頭骨をめぐる悪夢のような過去を持つ人々が出てきます。いや、ここはむしろ髑髏に取り憑かれた人々と言うべきでしょうか。
話中の過去の「佐田一家焼殺事件」「兵役忌避者猟奇殺人事件」は戦中の事件ですが、これらもすべて髑髏に取り憑かれた人々によって引き起こされます。
また元精神科医の降旗と牧師・白丘が経験した出来事はあまりにも現実離れしたもののため、本人達は夢と思い込んでいましたが、それもまた髑髏に取り憑かれた人々による現実の出来事だったというオチです。
狂骨の夢(3)【電子百鬼夜行】
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そんな髑髏にまつわる悪夢に取り憑かれた人々の全ての原因は、実は宗教的な教義や儀式といったところから来ます。いわばこの宗教的な部分がこの話の謎解きの要になって来るのですが、一般的な人は知りえないような知識や情報でもって、京極堂が解決に導きます。
「狂骨の夢」がこれまでの2作品「姑獲鳥の夏」「魍魎の匣」に比べて、評価が概ね低い理由は、ここにあると思います。
今までは話の前半において、謎解きのヒントや解決に至る認識や観念についての説明が、京極堂によって語られていました。そして後半において、「なるほど。そういうことか」と理解を得て、読み手を驚かせていたのです。
今回は謎解きの要になるべき知識や情報が京極堂しか持ち合わせてなく、また読み手に提示するのは謎解きの時のみです。全て後半の謎解きの際に、京極堂が一気に語ることで話は収束していきます。
宗教的な教義や儀式についての知識や情報といったものが、一般的に自明のもの、いわば説明不要のものであれば、こういう手法もありかとは思うのです。ですが、実際のところはどうなんでしょう。
今回はちょっと残念な感想になってしまいました。
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