「陰摩羅鬼の瑕」京極夏彦 (講談社文庫)

2014-08-10

京極夏彦

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 ある男の花嫁が婚礼の翌日に必ず殺害されて発見されます。ある男はかつて伯爵と呼ばれた元華族で高貴なお方です。この程度の認識で今回の作品を読み始めたものですから、私はついグリム童話の「青髭」のような話を連想してしまいました。蓋を開けてみれば、当たらずも遠からずと云うような内容で、物語の冒頭で犯人がわかってしまった次第です。

 問題は動機に当たる部分です。この点に関しては読み進めることでしか解釈できない部分です。ですが、どうなのでしょう。身近に「死」を学習できない環境だからと云って、人は本当に「死」というものを理解できないものなのでしょうか。伯爵の場合、屋敷に多くの蔵書を抱えています。そして、それらから彼は世界の事物について知識を得たというのなら、たとえ「死」がわからなくても「剥製」についての知識は得られたのではないでしょうか。「剥製」についての知識が得られたならば、当然彼が家族と見なしていた鳥達が何なのかも知り得たのではないのか、と思う次第です。


 今回扱われる大きな部分は「死生観」についてだと思われます。「死」とは何なのか。これについては生者の側から見てであれば論じることはできます。ですが、「死者の側から見た『死』」については生者の想像でしか語れません。決して生者にはその真実を知り得ない事柄、それが「死」なのでしょう。所謂「死後の世界」や「死後の在り方」などと云うものは全て生者の想像に過ぎません。

 人は古来、わからない「もの」や「こと」に恐れを感じるようにできています。そしてそれを克服するためにわからない「もの」や「こと」に名を与え、形を与えてきたと言えます。そして現実という事物は本来混沌として、そこにただ在るものです。言葉とはその混沌とした現実の事物一つ一つに名を与え、形や構造を与えるものです。

 現実の事象とは、思うに空間的並存状態にあるものです。それらを時間的継起状態に移し替えて解釈し、概念として捉える作業こそが「言葉」の働きだと言えます。それによって物の形や構造・状態、事物の因果関係を見出し、人は現実を説明・解釈できるように加工することで現実に対する恐れから逃れていた訳です。

 「死」という現実もまた生者にとってはわからないことの一つです。「死」という現実に対して、人は「死の概念」を与えることで「死」を解釈しているだけです。そして解釈というものは決して一つとは限らず、人によって違ってくるものだと考えるならば、「死」の解釈すなわち「死の概念」も人それぞれに違ってくる、という話だったと思いました。

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