「脳男」首藤瓜於 (講談社文庫)

2013-09-16

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連続爆破事件の犯人・緑川の逮捕を目前としていた茶屋であったが、不測の事態により取り逃がしてしまうことになる。
その不測の事態とは、謎だらけの男・鈴木一郎の出現であった。

鈴木一郎は逮捕後、新たに仕掛けられた爆弾の在り処を警察に供述したことから、爆破事件の共犯と目された。

だが、鈴木一郎の精神鑑定を担当することになった鷲谷真梨子には、彼の正体がただの爆弾犯とは思えなかった。

彼の正体を突き止めるため、真梨子は彼の過去を探ろうとするのだった。

 先に映画を観た上で、原作の小説はどんなものかと思い、手に取りました。
 ちなみに映画に対しての感想としては、日本では珍しくグロテスクなシーンが多く、全体的に感情移入や共感しにくいキャラが多かったという印象があります。

 日本ではグロテスクなシーンの多い映画は批判・非難の対象となりがちで、この映画も例に漏れることはありませんでしたが、個人的にはここまでやるかという感じで新鮮に感じました。

 小説の方は問題作だと言われているという話も耳にしました。ですが偉ぶって小難しいことを並べ立てて、小説は高尚なものと嘯いても仕方がありません。小説はあくまで娯楽であるべきだと思います。


 さて映画の原作となった小説の「脳男」の感想なんですが、映画とは全くの別物です。映画で盛り込まれていたグロテスクなシーンはほとんどありません。

 自閉症をはじめとした、脳神経科や精神科が取り扱う症状についての記述が多く、鈴木一郎はそのような疾患を持った人物として描かれています。

 正義とは何か? 悪とは何か? という問題にも触れているのですが、このあたりがどうもあやふやになったままで終わっています。

 そもそも鈴木一郎自体が、法で裁けない悪者を闇から闇へ葬るダークヒーローという感じではないんですね。手続きさえ踏めば法で裁けるという人間であっても殺害していきます。

 このようなヒーロー像は果たして如何なものなんでしょうか。例えばもし私が、夜中に騒音を撒き散らす暴走族の輩を、週末のいつもの走行コース上に待ち伏せして、ピアノ線を張ったり、凶器の類を持って不意打ちの形でボッコボコにしたとして、それでダークヒーローって呼んでもらえるんでしょうか。

 少し疑問ですよね。そういう行動を起こすに至った気持ちは理解されたとしても、だからといって許されたり、ましてやヒーロー扱いされることはありませんよね。

 確かに鈴木一郎は超人的な能力を持っていて、人質に取られた少女を助ける場面などは彼の能力無しでは不可能なお話です。
 ですが彼がすること、あるいはしようとすることの本質は、先に述べたようなことで、やろうと思えば誰にでも可能なことだったりします。そのような人物をその能力の特殊性だけを見て、ヒーロー扱いすることには甚だ疑問の余地が残るのではないかと思いました。

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