妻を轢き逃げされ、復讐を目論んでいた鈴木、
依頼を受けて対象の人物を自殺させる殺し屋「鯨」、
ナイフを得意とする若き殺し屋「蝉」、
彼らはそれぞれの思惑から「押し屋」という殺し屋を追い始める。
彼らの物語が交錯する時、果たしてその辿り着く結末に
明るい未来はあるのだろうか。
冒頭では「ラッシュライフ」の時のような群像劇が始まりそうな予感を覚えますが、今回の大きな違いは主要な登場人物たちが皆、人の「死」に主体的に関わっていく役割を担っている点でしょうか。
そしてまたもや「神様のレシピ」というキーワードが現れます。
ですが、私の読んだ感想としては、今回は「神様のレシピ」と言えるほどだったかなぁ、というのが正直なところです。
恐ろしいほどに何気ない偶然が重なり合って辿り着く運命とでもいうべきもの、そのようなものが「神様のレシピ」だと思っていましたが、今回は偶然と言うよりも必然の帰結と言える部分が多かったような気がします。
例えば鈴木の復讐の相手が車に轢き殺されてしまうという展開も、恨みを多く買う人間であれば、その成否はともかく、鈴木以外の人間に狙われるのも別段不思議なことではないと思います。
その現場を目撃してしまったことで鈴木は、その後の厄介事に巻き込まれていきますが、寺原の会社に所属している限りは、それは確かに厄介事ではあっても、厄介事自体は別段珍しいことではないはずです。
そういった世界に自ら足を踏み込んでしまっているわけですから、いわばそのような厄介事は日常茶飯事のこととして考える方が自然です。
ただ鈴木本人がそういった世界に染まっていないだけで、偶然そのような厄介事に巻き込まれた、と考えるのは逆に不自然ではないかと。
「鯨」にとっての偶然と言えば、やはり「押し屋」らしき人物をたまたま仕事中に見掛けてしまったことだと思います。
「蝉」に至っては、彼にとっての偶然は一体どこだったのか、いまだに私には判然としません。
寺原の事件がなくとも不穏な空気や人物といったものは、裏通りばかり歩いていれば自然とぶつかるものでしょう。
「押し屋」に至っては、ある意味全て計算ずくな行動なわけですから、偶然といったものが何だったかと言えば、恐らくブライアン・ジョーンズの話が飛び出してきたことくらいではないでしょうか。
「グラスホッパー」の見所としては、今回は伏線の張り方と回収といった技術的な面に目を引かれました。
そこで「劇団」が出てきますか。
そこでスズメバチですか。
といった具合です。
グラスホッパー (角川文庫)
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内容的には数が増えてくると凶暴になり、より遠くへ飛べるように翅が大きくなるという「飛びバッタ」の話が印象的です。
これをテーマにするなら、殺し屋という特殊な職業の人間たちの話ではなく、いっそ普通の人々がごくごく普通に、穏やかに暮らしているだけなのに、違う見方からはその普通の人々こそが非常に凶暴で、本人達も気づかぬ内に周辺のもの全てを食い散らかしている、というような話の方が面白そうかとは思いました。
それが「グラスホッパー」では、普通の人々は殺し屋達にあっさり殺害されてしまっているので印象に残りにくいのです。
さらっと読めば、ただの被害者なんです。
ですが、例えば「蝉」が皆殺しにした一家、「鯨」が自殺させてきた人々、彼らに焦点を合わせてみると、果たして善良な人間だったと言えるのかどうか。
殺し屋もその被害者も、どちらも凶暴な飛びバッタ。
ただより強かったり、運がよかったりした方が生き残っただけ。
生き残ったところで「群集相」の中にいる限り、彼は幻想を見て凶暴になっていくだけではないでしょうか。
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