村上春樹の「ノルウェイの森」と言えば、本を読まない人でもタイトルくらいは耳にしたことのあるメジャーな小説だと思いますが、これが名作と言われるようなものなのでしょうか。
何が評価されているのかが私にはわからない。
表現でしょうか。それとも世界観? ストーリーはただの恋愛ものですよね。
大人になった主人公が昔を思い出すところから始まって、自殺した親友の話があって、彼女なのかどうかあやふやな関係の心の病んだ女性とのやり取りがあって、主人公が大学生の時はいろんな女の子とHした話があって、最終的にはあやふやな関係の女性とは別の女性と付き合うことになったって話ですよね。
どこにである、ごく普通の日常や人々を詩的にも見える表現で描いてみせたという点が評価されてるんでしょうか。その点だけで言えば「僕が直子のためにとっておいたいくつかの部屋は鎧戸を下ろされ、家具は白い布に覆われ窓枠にはうっすらとほこりが積もっていた。僕は一日の多くの部分をそんな部屋の中で過した」という一節だけは評価したいです。ここの心理描写はこの表現しかないっていうくらいでした。
全体的には洋書を翻訳したような文体で、同じ言い回しが繰り返される。例えば「~と言った」という終わり方は、確かに日本語なら「答えた」とか「話した」「述べた」「告げた」といろいろ変化させて表現するところを、英文であれば“said”で統一する、というようなところは洋書ではよく見受けられる。
また翻訳のような文体に伴って「~のような」という表現ではなく、洋書に多く見られるような暗喩的な表現が多かった。
そのような表現が好き、でも日本にはそういう表現をする小説はないので、この小説は素晴らしい、ということにはならないだろう。私としては借り物のような表現を無理に日本になじませる必要はないと思いますので。
ノルウェイの森 (講談社文庫) Kindle版
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内容はどうなのか。学生時分にいろんな女性とHしたなんて話は取り立てて珍しい話でもないですし、付き合った女性、または好きな女性が心を病んでいたなんて話も別によくあるお話だと思います。少なくとも私の経験上は、という条件が付くかもしれませんが。
作中、しばしば「まともな人」だとか「まともじゃない人」という人物評価のようなところがあるのですが、多分この辺りの捉え方一つで人それぞれこの小説の評価が違ってくるかもしれません。
主人公にとっては、一般的に「まともな人」が「まともじゃない」と感じて、一般的に「まともじゃない人」が「まとも」なのに病院の世話になっている、という見え方なのだそうです。
私の人間観としては全員「まともじゃない」し、同時にそれが全員「まとも」な状態だと思っています。そしてその両者に当てはまらない「狂った人」が別に存在している、と。
この辺りの説明はこの小説のレビューから大きく逸脱してしまいそうなので、また別の機会にすることがあれば、と思います。
最後に、私がもし悪戯心を起こしてこの小説に手を加えてもいいなら、主人公に「直子は僕からの手紙を全て燃やしたはずなのに、レイコさん、あなたはどうして私に電報を打てたのですか?」(ゴゴゴゴゴゴゴ・・・)と言わせて、無理やり「えー!?ここまで来て、これって推理サスペンスだったのか!?」と読み手を驚かせたくなりました。
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